黒柴「まる」の成長記

徒然なるままに犬とともに日暮らし日記

幼なじみ

まるがまだ散歩を始めたばかりのころから近隣に住む柴犬やボーダーコリーとすぐに友達になった。犬の場合も"幼なじみ"という感覚はあるみたいで、その子たちと会うといつでもうちとけてじゃれあってうれしそうに一緒の時間を過ごすことができるみたいだ。

もし犬を飼っていなかったら僕は犬の飼い主の人たちと出会うこともなく、今とはちょっと違う人生になっていたかもしれない。

犬を飼うにあたっての実際的な対処法をいろいろ教わったし、もう少し広く大げさに言えば人生の機微みたいなものも教えてもらっている気がする。

犬を飼うにあたってはそれなりの覚悟がいる。可愛いペットをそばにおけるというプラス面の裏にはやはり"余分な労力と時間"を犬のために費やすというマイナス面もある。
犬が病気になったり歳をとったりすれば「介護」も必要になる。
医療費は人間よりも数倍かかる。(教育費はいらないけど)

そういうことを全部背負った上で、それをものともしない"何か"がある。
しかもそれは自分の子供や孫を慈しむのとはまた違う何かなのだと思う。

なんだろう、「無償の愛」?
例えは不適切かもしれないけど、それは障がい児を育てる親の立場に似ているかもしれない。与えられることを期待せず、ただただ一方的に愛する。最後まで見届ける。

"永遠の3歳児"といわれるけれど、人間の3歳児はもうだいぶしゃべれるし意思表示もできる。犬は何年たってもしゃべれない代わりに憎まれ口をきくこともない。

飼い主に忠実に最後まで尽くしてくれる、だから晩年ちょっとくらい介護が大変になったとしても、最後まで看取ってあげる、感謝の気持ちはいつも忘れない