黒柴「まる」の成長記

徒然なるままに犬とともに日暮らし日記

ぴょんちゃん

ここのところ連日、平昌オリンピックのニュースばかりで食傷気味。
どちらかといえば2020東京オリンピックも招致して欲しくなかった。
スポーツそのものが嫌いなわけではなく、"競う"ということの意味がよくわからない。
時計とセンサーの精度が上がったせいで100分の1だの1000分の1だのという、そんな微妙な差でメダルの色を競ったり、先入観と偏見と何かが混ざった採点によって選手人生が大きく変わってしまうなんて。スポーツの目的がちょっと違う気がする。

そしてなにより毎日の過熱した報道。
メダルをとった人の生い立ちから過去の戦跡を何度も何度も見せられる。


そんなに毎日ドラマが欲しいのかな。所詮他人の人生なのにどうしてそんなに大騒ぎして"応援”するんだろう。
『他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ』
そんな不穏当な考えを公に表明するとどこかの女性議員みたいに大炎上してバッシングされるかもしれないけど、まあ、それは真実だからしかたない。


じゃあ、自分の人生ってなんだろう。
人生の意味ってなんだろう。
孤高の天才でない限り、それはきっと「何人の人の人生を背負ったか」で決まるような気がする。自分のためだけに生きる人生は寂しい。
誰かの歌の詞に『僕がいることを喜ぶ人がどこかにいて欲しい』というのがあったっけ。
僕はだれかのためになっているだろうか。ふーむなってないかも。

でもまあ、最低限まるのためにはなっているかな。
僕が一番まるを大事にしているし、まるがいることで僕の人生にも少し彩が添えられた。
まるがそのことをわかってくれているかどうかは、わからないけれど。